まいさんの日記

まいさんが、趣味的な記事を書くところです。はてなダイアリーの「まいさんの日記」のから引っ越しました。

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平成を振り返って

[日記] 平成を振り返って

 こんにちは、まいさんです。
 時期も時期ですので、平成の30年ちょっとを振り返りたいと思います。
 大学入学が平成元年で、そこから一人暮らしを始めたりと生活が平成に入って大きく変わった所です。

●まずはネット関連
 元年に大学入学しまして、パソコンサークルに通うようになります。
 大学非公認(=学校側からの部屋や資金援助等がない)の学生のサークルではありましたが、当時はバブル期なのもあり、企業スポンサーがしばらく付いていたため、マンションの一室を部室にするなど、それなりに余裕を持った活動ができていました。前年解散した一部では有名な某マイコンクラブの実質的な後継団体だったということもあったと思います。
 在学中から卒業後も長くサークルに出入りしていたので、後輩などを中心に知り合いができ、今でも数人はお付き合いがあります。ここのサークルはとても楽しかったですね。人生でいちばんおもしろおかしく過ごしていた時期かもしれません。

 さて、そのサークルにあったのが、パソコン通信の環境でした。
 当時は、地方の草の根ネットや、大手のPC-VAN(現Biglobe)やNifty-Serve(現NIFTY)などにアクセスしておりました。
 パソコン通信のおもなコンテンツは掲示板でした。「テレホーダイ」もない時代でしたので、パソコン通信ソフトのマクロを組んで、さっと情報だけを引き抜き、後でゆっくり読むというスタイルでした。それでも月に数千円の電話代を払っていたと思います。部室に引いた共用回線での電話代の管理は手間だったなあ。

 草の根ネットは地元のリアルな交流も多くありました。当時はパソコンを持つ人も少なく、パソコン通信をする人はもっと少ないわけですし、いろいろ情報のやりとりなども盛んでしたね。
 大手ネットでは、主にPC-VANに接続していました。平成2年には個人用のIDも取得して、趣味のSIG(掲示板)に出入りするようになりました。基本的にここで知り合った人たちから10人以上は今でも交流があります。もう30年近くなりますねえ。

 留年なども経て少々長めに大学にいたので、インターネットに最初に触れたのも大学在学中でした。
 学内に張り巡らされた同軸の10Baseを19200bpsのシリアル変換する装置が研究室にあり、PCから接続していました。当時はWWWというものは一般的でなく、Gopher等を使って情報収集したり(研究がインターネット関連だったなのでRFCの資料とか)、UUCPのメールを他大学の知り合いに送ったりとかそんな感じでした。

 卒業後は、就職で関西の方に。1996年ですね。この頃からパソコン通信とインターネットの環境でネットにアクセスするようになりました。パソコン通信のアカウントもインターネットプロバイダに自動的に移行されました。1997年には自分のホームページを作ってたりしました。これは2014年くらいまで生きていました。

 自室にISDNを引いたのが1998年頃、ADSL開通は2000年。2002年に現在の東京に転勤で引っ越し。当時の引っ越し先の選定には電話局からの距離(ADSLでは、局からの距離で速度が大きく変わったり、遠いとADSLそのものが使えなかったりしたため)なども参考にしておりました。
 光回線を引いたのは2003年で、このときはBフレッツニューファミリー。しばらくして、TEPCO光に変更。その後TEPCO光がなくなり、アパート自体が光ネクストマンションタイプに対応したため、現在はそちらを使用しております。

 ネット関連はこんな感じかな。

●PCについても
 8BitPCを除くと、最初にPCを買ったのは、中古のブック型PC(PC-9801NS)。パソコンを使うだけなら前述のパソコンサークルで事足りたので、こちらは遠征旅行用。学生時代からコミケや関連OFFにはよく行っていたので、それ用ですね。
 その後、1993年のPC-9801BXを購入。これはPC店の新装オープンで爆安(いわゆる値段はあってないような、1台限りの客寄せ品)に友人を連れて抽選で勝ちとって購入したものでした。すでにPC-9801は成熟していた頃で、良い機種だったと思います。

 次のPCは自作PCで、1996年の11月。就職後の最初の冬のボーナスに合わせて購入したものでした。フルセットで23万円くらいでした。Pentium133MHz、メモリ64M、VGAはMilleniumと、Windows95にしてはかなり贅沢な仕様だったかと。
 以降、ノートPCを除いて、デスクトップ機は自作でずっと組んでいます。

 PC周辺では、初期はMIDIで(DTM)をやっていました。ミュージ君とかの時代で、MT-32、SC-55SC-88SC-88Pro等を購入しており曲を聴いておりました。なお作曲などはやらず、ネットにあるMIDIデータを演奏するのが主でした。ゲームによっては、PCの内蔵音源(サウンドボード)よりも高音質なBGMってのが使えましたし。
 ただ、MIDI関連は例の騒動で下火になり、関連した機器もその頃から使わなくなりました。

●同人関連
 最初の同人即売会に参加(一般参加)したのは、1990年の福岡で会ったパソケット。パソケットは、スタジオYOU系列の同人ソフトオンリーの即売会で、2000年くらいまでは地方でも手広く開催されていました。その時買ったのは、「バグ猫ソフト」のデビュー作だったというのは懐かしい話。

 コミケは同年(1990年)の冬コミから。コミケ39になります。幕張最後の回というと古い人はわかるかも。
 以降コミケには毎回(少なくともいずれかの日には)参加しております。
 コミケ以外の中規模即売会やオンリー系は、学生時代や関西にいた頃はほとんど行かず。東京に出てからがメインですかね。
 2002年に東京に引っ越したので、サンクリとか行きやすくなりましたし。あと2007年以降くらいから東方系が多くなったかなと。

 なお、サークルとしての出展は、2000年の夏コミからかな? 「六畳間企画室」というサークル名で、コミケ参加者向けの関東近郊の乗換案内本を作成しておりました。内容は「始発からの乗り継ぎ(早朝は列車が少なく、若干遠回りな経路の方が実は早く到着できるというケースが多かった)」「主要乗換駅の階段や改札に近くなる車両のドア位置(今では珍しくないですが、当時はあっても大雑把なものしかなかった)」「主要乗換駅のコインロッカーの全数調査」、といったものでした。
 当時は電車の時刻や乗換や予め調べておく時代。パソコンソフトやYahooにはありましたが、i-mode等の携帯端末での利用は2002年以降になり、そういうものの携帯冊子の需要がありました。初期はかなり好評でしたが、やはり携帯で事足りる時代になるとほとんど需要がなくなりましたね。2011年をもって終了。
 2013頃からは、当時はまってた中国麻雀関連の本を作成しております。ほとんど内容を変えずに今に至ります。
 あと、2009年に東方の同人ソフトの合同企画に参加したこともありました。

●ゲームについて
 学生時代はパソコンメインでゲームもしてたので、コンシューマゲームとしてのゲーム機は、セガサターンプレイステーションPC-FXあたりからですね。その後、プレイステーション2DreamCastゲームキューブあたりも購入しましたが、基本的に据え置きのコンシューマゲームでよく遊んでいたのはこの時代まででした。

 その後、Windowsで充分にゲームが遊べるようになると、そちらがメインで。いわゆる90年代末からのギャルゲブームにどっぷり浸かりましたね。ただ、これも2004年くらいで離れ、十分遊べるものが増えてきた同人ソフトや、洋ゲーなどをメインで遊ぶようになりました。それは現在でも同じですね。
 2010年代には携帯できる端末(3DS、PS Vita)などは買いましたが、旅行などの移動中の暇つぶし程度でした。携帯ゲーム機は、今はスマホに置き換わりました。

 そんなわけで、平成も終わり、令和もいい時代になりますように。